「鈍角も鈍角」(いちご16歳3ヶ月・みるく14歳4ヶ月)

高校の国語の教科書に載っていたと思うのだが。
富士山について書いた文章を読んだことがある。
多くの人が富士山を鋭角に描いているが、実際の富士は「鈍角も鈍角」というくだりが強く印象に残っている。
その話を先日同級生に会った時にしたのだが、誰もそのフレーズについて覚えていなかった。
あれはなんの話だったのかな・・・という疑問がいちごのおかげでふいに解けた。
「表紙絵を描く」という冬休みの宿題をいちごに見せてもらった時のことである。
渡された小冊子に書かれたタイトルは『富嶽百景』。
太宰治だ。
記憶に残っていた箇所は読み始めてすぐに見つかった。

「広重、文晁に限らず、たいていの絵の富士は、鋭角である。
いただきが、細く、高く、華奢である。
北斎にいたつては、その頂角、ほとんど三十度くらゐ、エッフェル鉄塔のやうな富士をさへ描いてゐる。
けれども、実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。」

これだったのか!
そうか、太宰治富嶽百景ね。
なるほど納得。
長年の疑問が解けた。
ありがとう、いちご。
経緯を説明したらいちごはこう言った。
「いちごはそこ、印象に残らなかったなー。いちごが印象深かったのは月見草のとこだから。」
同じ文章を読んでも心にひっかかる箇所は人それぞれ。
おもしろいね。