バラナシ→デリー

旅行記なので長いです。興味がない方は適当に読みとばして下さい。>

5時半出発でガンジス河へ日の出を見に出かける。
アルティープージャーの時とは違い、朝は道路の規制がないので河の近くまで車で入ることができた。
河へおりる前に、道端のお店でおちょこサイズのチャイを一口いただく。
「素焼きの器で飲むと味が違うんですよ。一番おいしいですよ。」とアルンさんが言う。
確かにおいしい。
昨夜人でいっぱいだった階段をおりるとそこはもうガンジス河。
「今は乾季なので水がだいぶ少ないです」とアルンさんは言うが、それでも十分大きな河だ。
物乞いをかわしつつ、ボートに乗船。
聖なる河にはいろいろなものが浮いて濁っている。
火葬された遺灰(幼児の場合は火葬できないので遺体そのもの)が流れ、用をたした人がお尻を洗い、牛が行水し、洗濯する人、歯を磨く人、体を洗う人、ひげをそる人、食器を洗う人などなんでもあり。
同じ河で人々は漁をし、沐浴し、聖なる河の水を汲む。
ガンガーは生も死も清も濁も全てを内包し、ゆったりと流れていくのだ。
沐浴をする気にはなれないが、河面をボートでただよう分には気持ちよい。
日の出を眺めながら花で飾られたキャンドルに火を灯す。
お祈りをして灯明皿をガンガーに流せば、煩悩も一緒に流れ、願いも叶うらしい。
あとで振り返ると、このボートで過ごした時がインド旅行中一番ゆったりと気持ちよく過ごせた時間であった。
信仰があるなしに関わらず聖なる場所というものはなにかしら人に作用するものがあるのだろう。

下船した場所はマニカルニカー・ガート。
(ガートは河岸に造られた階段のこと。そのまま水の中に入ることができるので沐浴に使われることが多い。バラナシではガンジス河沿いに84のガートがある。)
ここは火葬場のガートなのでたくさんの薪が積まれており、煙と牛糞の異臭が鼻につく。
薪代を請求してくる人をよけながら道を進む。
路地は坂が急で、人がぎりぎりすれ違える程度に細く、いたるところに汚物が落ちており、くさい。
道を牛がふさいでいる箇所をなんとかよけながら表通りへ向かう。
路地の片隅に小さな祭壇のようなものがあり、飾りや供え物がしてあった。
日本のお地蔵さんのようなものだろうか。
インドには様々な宗教があるが、一番多いのはヒンドゥー教徒で人口12億人のうち8割を占めている。
残りの2割はイスラム教、キリスト教シク教、仏教、ユダヤ教バラモン教ジャイナ教ゾロアスター教など。
ヒンドゥー教にはシヴァ神などを中心に3億以上の様々な神様がいて、日本の八百万の神々を思わせる。

動物園のにおいがする路地を抜け、表通りに出てほっとしたのもつかの間、今度は車やリキシャーをよけるのが大変だ。
ようやく車に乗り込み、ホテルに戻るのだろうと思ったら
「いまからバラナシヒンドゥー大学へ行きます。そのあと大理石でできたインドの地図見に行きますね。」とアルンさんが言う。
「えー?朝ごはんじゃないの?おなかすいた・・・」とへこたれるみるく。
バラナシヒンドゥー大学構内にはヴィシュワナート寺院があるのだ。
実はヴィシュワナート寺院は2つある。
ひとつはゴールデンテンプルと呼ばれる屋根と尖塔に本物の金を使ってある寺院。
こちらはヒンドゥー教徒のみしか入れないし外観の写真撮影すらも不可。
大学構内にあるのはゴールデンテンプルをモデルに新しくつくられたもので、誰でも中に入ることができる。

寺院の中は静寂に満ちていた。
いろいろな神様がそれぞれの場所にまつられており、
その前で一心に祈りを捧げる人々の姿が厳かな雰囲気を醸し出している。
アルンさんに神様のエピソードを聞きつつ散策。
「これは力の神様です。手に持っているのは動かした山です。」とアルンさんが話しているのを聞いてみるくが「そういう昔話あったよね。八郎だっけ、三コだっけ・・・。」と言う。
山を海へ放り込む話だね。
宗教が違っても信仰そのものはつきつめていけば結局同じものなのだと私は思う。
宗教戦争なんてナンセンスだ。

ヴィシュワナート寺院を出て、次はバーラト・マーター寺院。
こちらもヒンドゥー教の寺院だ。
中には白大理石と黒大理石でつくった巨大なインドの立体全図がある。
細かく彫刻されたヒマラヤ山脈が見事だった。
どちらの寺院も靴を脱いで入らなければならなかったので、靴下が真っ黒になった。

ホテルに戻って朝食と洗濯。
朝食に初めてパンケーキを発見し、大喜びする子ども達と私。
美味なり。
パパは水下痢がはじまり食欲減退。
みるくもこのあと下痢がはじまった。
ホテル出発は13時で集合が12時45分なのでそれまではフリータイム。
パパはトイレにこもる以外はベッドで寝て体調回復につとめる。
いちごとみるくは寝ながらカートゥーンネットワークを鑑賞。
(みるくはプールで泳ぎたがっていたが、下痢と腹痛がはじまったので断念したらしい)
私はホテルの隣にあるモールへ出かけてみたが、全く店が開いていなかった。
10時40分過ぎにようやく2〜3の店舗がオープン。
さすがのインド時間である。
みるくが「今日の靴下洗ったら替えがなかった」というので子ども靴下を探すも皆無。
ようやく紳士靴下3足入りを見つけてゲット。
私が見たかった洋服のお店は11時半を過ぎてようやくオープン。
いまどきのAラインのパンジャビスーツが欲しかったのだがどこにも売っていない。
あとで聞いたところによると、あれは体型にあわせてオーダーメイドでつくるのだそうな。
なるほど。売っていないはずだ。
豪華で美しいインディアンドレスが3000円くらいでたくさん売っていたが、着る機会もないだろうとあきらめてホテルへ戻る。

ランチは12時からだと聞いていたが12時半からだったので食べる時間がない。
パパとみるくは「食欲がないから昼はパス」と言い、いちごも「食べなくてもいい」と言う。
それではとロビーでアルンさんを待つ間に、日本から持ってきたシリアルバーなどをいちごみるくに与えてみた。
ウィダーインゼリーやおかゆもあるけどいる?」とみるくに聞いてみるも
「いらない。このホワイトチョコのシリアルバーおいしい。これなら12個ほしかった。」という。
みるくはホワイトチョコが大好きなのだ。
いちごはモンブランバーを食べ、小さなメロンパンというお菓子をみるくと半分こ。
とりあえずみるくに笑顔が戻ったのでほっとする。
トイレの住人と化していたパパがトイレから出てきたところでバラナシの空港へ移動。

バラナシの空港は荷物のセキュリティーチェックが厳しい。
パパのノートPCの電源が入っているという理由でスーツケースがひっかかった。
ラップトップの電源を切り、電子辞書は電池を抜いて別々にしまうようにとの指示に従う。
手荷物チェックも長蛇の列。
特に女性のラインが長かった。
ボディチェックをすませて箱の外へ出ると、私たちの前に並んでいたインド人女性たちが荷物引き渡しでなにやらもめていた。
荷物はいつ渡してもらえるのだろうかと順番を待っていると、勝手に持って行っていいよと係員がジェスチャー
いちごのリュックは出てきているが、私のリュックがない。
まだX線を通していないのかと聞いてみると、もう残っている荷物はないという。
え?私のリュックはどこに???
慌てて探し回るも隣の男性レーンにもなし。
パスポートとカメラとお財布が入っているのにどうしよう。
しばらく探しても見つからず、プチパニックになりかけたところで、ようやく男性の方のレーンのかなり後方から私のリュックが流れてきた。
なんでだー。
でもいい。
リュックも中身も無事だったからもうなんでもいい。
今回の旅で一番の恐怖時間であった。

バラナシからデリーまでは飛行機で1時間くらい。
到着後、初日に宿泊したメトロポリタンホテルへ移動する。
どこかの首相がきているらしく大使館通りが大渋滞。
交通規制と帰宅ラッシュが重なり、30分の道のりを1時間かけてホテルに到着。
「ここまで戻るとさすがにほっとするなー」とパパが言う。
確かに。
部屋の鍵がこわれてあかなくなり、湯船は水もれし、排水に難ありだったバラナシのホテルとは雲泥の差である。
最終日のホテルがここでよかった。

夕食はホテルのビュッフェ。
魚も野菜もあっておいしい。
旅行中の全メニューの中で一番食べやすくおいしい夕食であった。
インドの旅は明日で終了。
残り一日、楽しみましょう。